Tさんの記憶力

 物事を記憶しない人と付き合うことに特有の、爆発的な楽しさと寂しさがある。

 Tさんは、あったことをすぐ忘れてしまう人だ。今度どこどこへ連れていってやると言っても、次に会ったときその計画は跡形もなく消えている。何かに怒ってこう落とし前をつけてやると息巻いても、しばらく経つと何もなかったかのようだ。だから、確実な約束というのが成り立たない。覚えていることもないではないが、何がそうなるかはわからない。こちらばかりが悪いことをしたと気に病んで、相手はケロッとしていたということもしばしばだ。

 Tさんの瞬発力には比類ないものがある。普通の人なら考えもしないことを提案してくる。ほんとにいいの? と思うようなことを言う。そして、タイミングがよければ、実現する。これが最初に書いた爆発的な楽しさだ。Tさんは、前にこうだったから今回はこうだというような発想をしない。いま目の前のことだけで、これはどうだ、と迫ってくる。だから実現したらびっくりするくらい楽しいことになる。

 翻って、ぼくらは記憶するのが仕事のような人間だ。過去に起こったことや書かれたことを、忘れずにいることだけが仕事のような人間だ。だから、自分の身に起こったことも、あの時こうだったよね、と振り返りたくなる。記憶を愛でることで彼との関係を深めたくなる。でもTさんはとっくに別のことを考えている。この寂しさと引き換えにあの爆発的な楽しさがあったんだなあと感じさせる。

 しかしTさんだって、すべてを毎日新たに始めているはずはない。それではさすがに商売も何も立ち行かないだろう。観察していて気づいたのは、Tさんは記憶の作業を外注することで、いわば他人をクラウドのように使うことで、記憶を保存しているということだ。

 Tさんは、その輝ける瞬発力で、相手に強い印象を残す。ドスの効いた勢いと威圧感で、相手をビビらせる。そうすると、Tさんが覚えていなくても、相手が勝手に配慮してくる。勝手に動いてくる。そしたらTさんは、その瞬間に改めて考えて、得になる方を選べばいい。

 考えてみれば、ぼくが田辺に泊まれたのもそういう経緯だった。Tさんの「きたらええやん」というアイディアを、ぼくは渡りに舟と喜んで覚えていた。けれど何かにつけて腰が重く優柔不断なぼくが次に鳥山さんに連絡したのは、結局4、5ヶ月経った後であった。そのまま音沙汰がなかったとしてもそれはそれで、彼はなんとも思わなかっただろう。

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