鋸山の大仏様

 私たちは答えを求めて鋸山に登った。私たちは行き詰まっていたから。あのそりたつ人工的な山肌の向こうに、袋小路の先へと導く何かがあるように思われたから。
 山を登り始めると、というか登る前の平坦な道を歩くうちからすでに、残暑と呼ぶには厳しすぎる暑さが身にべっとりと張りついてきた。私は猛烈に汗をかき、それをなんとか場違いな扇子で吹き飛ばそうとしたが、一人はかいたそばから汗を蒸発させる長袖のシャツを着用して涼しそうな顔をしていた。が、彼のその高性能のシャツはしばしば彼の体を冷やし過ぎ体調を乱すことがあるらしく、そこにもまた一つの小さな行き詰まりがあった。
 ところで、実際に私たち全員が行き詰まりのなかにいたか否かについては疑いの余地がある。行き詰まっていたのはただ私だけだったのかもしれず、そこまではっきり言わないにしても、私たちの行き詰まりにはグラデーションがあり、さほど行き詰まっていない者と限りなく行き詰まっている者の間に距離があることは確かだった。しかし、人は弱さの下でしか手と手を取り合うことができない。今日共に山に登る私たちは、やはり何としても行き詰まりを共有している必要があった。
 この過酷な登山中においても、新婚の者や結婚を間近に控えた者らは、配偶(予定)者へのこまめな連絡を欠かさなかった。彼らと、配偶(予定)者をもたないがゆえに一切の連絡を行わない者らを見比べながら私は、ひとときも逃さず経験を共有したいと望む彼らを衝き動かすものを見定めようとした。それはやはり、世に愛と呼ばれているものであるに違いないと、私には思われた。
 鋸山のノコギリたる所以は、長く採石場として用いられたことを証立てるそのぎざぎざの形にある。石材が切り出された平らな断面がどこまでも垂直に伸び立つその存在感は、私たちを圧倒した。壁面が何重にも四角くくり抜かれた、要塞を、あるいは迷路を思わせる採石場は、足元に立つ私たちに覆い被さってくるようだった。私はその奥まった暗がりにこっそり答えを期待した。しかし、元ある山からの数えきれない引き算で作られたこの石の構築物に、堅牢と脆弱のどちらを見てとるべきなのか、私にはよくわからなかった。
 ラピュタの壁というエリアがあった。スマホでバーコードを読み取ると石工たちの画像を合成された写真が撮れるという、文化庁の事業名が付記された掲示が貼られていた。ひときわ高い岩壁と金谷の町を背景に、二列に並んだ白黒の石工たちが私の顔の横にぼんやりと浮かんでいる、奇妙な写真が撮影された。私たちだけではない、世界もまた私たち同様に行き詰まっているのだという感覚と共に、どこを探しても逃げ場はないのだという絶望と、自分だけが取り残されているわけではないという安堵が、同時に押し寄せてきた。
 こうしてついに山頂に辿り着いた私たちは、日本寺の門をくぐり、大仏様の前に立った。岩壁から削り出された大仏様は、申し分のない座高を誇りながらどこかのっぺりとしていた。
 私は手を合わせて大仏様に尋ねた。
「大仏様、答えは何なのですか」
 大仏様は、「わからぬ」と答えた。
 私は大仏様の側方に控える小柄なお願い地蔵様に向き直り、お願いした。
「お願い地蔵様、お願いします。答えを私に教えてください」
 お願い地蔵様は、「わからぬ」と答えた。
 私は落胆を禁じ得なかった。一向に威力の衰えぬ日光が、私の脳天をじりじりと焼いた。
「大仏様、答えは何なのですか」
「わからぬ」
「わからぬのですか」
「そうだ、わからぬ」
 私は諦めることができなかった。
「……大仏様、私は思うのです」
「……」
「私は、本当は答えがわかっていると思うのです」
「……」
「それは、結局のところ、愛なのではないしょうか――」
 大仏様の右の眉がぴくっと動いた。

 私は今日鋸山に来てよかったと思った。見回すと、みんなほっとしたような、幸福に呆けたような顔をしていた。手には山頂の自販機でようやく手に入れたペットボトルが握られていた。全員レモン味の炭酸飲料だった。
 誰かが、そろそろ帰ろうと言った。下りはロープウェイで下りる。それは滝のように汗を流し足を酷使した登りが嘘だったかのような、短い、あっけない下山となるだろう。そのごく短い時間の間に、山を背に立つ私たちは、西日のきらめく穏やかな美しい海を、死ぬまで忘れることのない光景として、目に焼きつけることになるだろう。
 私たちは大仏に背を向け歩き出した。
 そのとき、ぴしっという乾いた音が背後から聞こえた。振り返ると、大仏様の顔の額から顎にかけて、斜めに一本の裂け目が入っていた。やがて足元から振動が伝わり、唸るような音が混ざり始めた。何が起きたかわからぬままにそれはどんどん大きくなる。そして次の瞬間、大仏様が、ラピュタの壁が、そりたつ岩壁が、要塞のような採石場が、鋸山が、すべてが一瞬のうちに崩れ去った。

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